「とかげ」の書評

チャン ロリ

 吉本ばななの「とかげ」は宿命と時間の癒す力をテーマにして書かれた作品であり、体言止めや省略という文体の特徴を通して、物語の重さを描いてある。名詞で止めることが多い吉本ばななの文は、時々何かを伝えようと感じるけど、はっきり伝わっていないことがある。他人が感じた悲しさや生きることの重さは言葉だけで伝えられることではなく、体で体験しないと理解できない。そのため、彼女は不完全な文を使い、読者に考えさせることを通して、少しだけ主人公の気持ちを分かるようにさせているのだと私は思う。
 主人公の二人は小さいころに経験した死に対する悪い記憶がずっと心の奥に残っていて、癒せない傷になった。語り手によると、この二人の出会いは「宿命」であり、似ている過去を持つ二人がお互いのことを思いやって、そして時間の力も借りれば、癒せないと思った傷も癒せるようになるらしい。
 主人公の二人は、悲惨な過去の持ち主であり、死に対する強い印象を持っているという。とかげは自分の母が気が狂った男に刺された場面を目撃し、母が「もの」になっていく様子にショックを受けていた。その男に対する恨みで、彼女は彼を呪い、結局彼は本当に死んでしまった。しかし、彼の死に対して最初に感じていた嬉しさは、大人になっていくうちにどんどん消えてきた。そして自分がしたことがどれほどひどいか分かってきて、いずれその呪いは自分に還ってくると気が付いた。人間は時間とともに成長する生き物であり、時間が経てば経つほど、考え方などが変わっていく。とかげが小さいときに、失うものは何もないと思ったので、他人を呪うことは簡単にできたが、失いたくないものを手に入れたら、自分の考え方も変わっていくという。従って、時間が経っているから自分の考えも変わっていくのではなく、必ず何かのきっかけが必要だと思う。
 「とかげ」のあとがきに、吉本ばななはこの本は「時間」と「癒し」、「運命」と「宿命」の関連についての小説だと書いているが、私は「時間」「癒し」「宿命・運命」のこの三者の関係は密接だと思う。とかげと語り手の出会いが「宿命」じゃなかったら、似ている悲しい思いでを抱いている彼と出会わなかったし、「時間」が流れてもとかげの心の傷が治るはずはない。彼の存在、いわゆる宿命的な出会いがあり、付き合う時間が長くなるにつれて彼の前では本当の自分になれるから、心の傷が消えていく。この三者の何かが欠けたら、とかげは自分を責めるまま生きていたと思う。
 語り手もとかげと同じく、小さいころにひどい目に遭った。彼は母が父の弟に犯されたからできた子供で、五つのときに自分は母の自殺現場にいて、遺言を聞いてしまった。彼が遭遇したことはとかげよりひどいとは言えないが、とかげと似ているせいで、彼は彼女に興味を持つようになった。二人の間に何かの絆があるではないかと思う。道を歩いていて、何故か特定の人に好感を持つようになったりすることがあるが、それは縁があるからだと私は思う。彼にも確実に心の傷があって、彼女のおかげで乗り越えたかどうかが明白に書かれていないが、しかし、二人の間の絆は確かに彼の支えになったと思う。
 私は最後の部分にとかげが言った「地獄のほうが、患者さん多そうだから」という台詞に興味を持っている。彼女はもともと自分が母を刺した男を呪い殺したことを後悔しながら怖がっていて、必ずばちがあたると思い込んでいたが、今は「地獄におちてもいい」と考えている。実際には彼女がその男を殺したかどうかはさて置き、彼女は自分の過去を全部受け入れられるようになったようだ。悲しい思い出を抱きながら、自分を変えようとして、頑張るようにすることは、かなりの勇気が必要だと思う。私は主人公の二人が過去を乗り越えたことに対して感心している。