吉本ばななの「とかげ」

エイミー丸谷


  吉本ばななの短編小説の「とかげ」は、現代社会の孤独の中で働いて生きていく人々を登場させ、過去や辛い秘密を持ちながら 人それぞれ違う人生の歩み方を 表現している作品だと思います。また 世の中は 悲惨な事に 遭遇したり あらゆる不幸が 起こりえるものだと表しています。ストーリー的には 非常に暗いのですが、そんな暗い世の中でも 人は明るい方向に行こうとするのだという事を 作者は意図している様に思います。
    登場人物は二人いますが、二人の名前は一切出てきません。ただ、男性の主人公の視点から ナレーションがされていて、彼は話す時には 自分にたいして 「俺」を使いながら ナレーターをして 心の中では 「私」を使うような独白があります。そして もう一人の主人公である 彼の彼女にたいして 「とかげ」という名前で呼んでいます。それは彼女が 右の内ももに 小さなとかげの入れ墨をしているからではなく、彼にとって彼女自身が とかげにみえて その生き物の感触をしているからです。この短編は 一方的な考えと 想い入れから 説明している為に、省略したシンプルな感覚がありながら 人が無意識の中で 過去を振り返るようなスタイルがあります。現に 何かをしているのに 急に二人が出会った頃に 巻き戻ってしまう所が多少あります。そして 作中に この現代と過去の 間には 必ず 少しだけのスペースがあり、作者はよく体言止を使っています。この様な 文章のスタイルによって 「とかげ」の読者にとっては 大変読みやすく書かれています。自分たちは幼い頃に 死という概念に 強い印象を刻み込まれて、興味を持ってしまっているので これまで宿命的に ひかれた訳をやっと理解したのです。
  ナレーターの男性主人公は 自閉症専門の小さな病院で カウンセラーや治療などしをていて、とかげは 針と灸が使える上に 凄腕の気功師であるため 触れただけで患者のけがや病気の 痛みや 苦しさや 不安からの 解放が出来る 不思議な力を持っています。彼にとって彼女と一緒にいる事は 心が癒されるような支えであり それが二人の使命でもあるそうです。二人とも幼い頃の事件で、世界の持つさみしさや闇の匂いを知ってしまったから 同じ様な苦しい重みを背負っているために 互いに惹かれているのです。「とかげ」の話が 始まる時期は ちょうど付き合ってから 三年もたった頃で 二人が初めて自分の辛い過去の秘密を お互いやっと語り合う時点です。
   とかげは子供の頃に、母親が 家に突然侵入してきた 暴漢にももと腕を刺されてしまい、母が死んでゆく所を見てしまいます。 恐怖の中で 人の魂が自分を見ていない限り、体はただの入れ物だと知ってしまいました。しかし、同時に彼女は 母親の傷口に手を当てて 止血しようとして、自分に 傷や 病気や 痛みに対する治癒力があるのを確認しました。奇跡的に 母親は死ななかったが 重症になり、ショックでとかげはしばらくおかしくなり、目が見えなくなったり、父親は戸締まりに病的に神経質になり、とかげの家族は酷い目にあいました。ひとつひとつ 取り戻して治すのに 長い年月がかかりました。ですが、これは 彼女の究極の秘密ではありません。とかげの秘密とは 母親を刺した犯人を 呪い殺したことです。とかげが憎しみのあまり 人を殺したのを後悔している間に、時間が長くたっていき、自分の周りのあるものが 綺麗に変わっていました。彼女だけがまだ 自分がかけた呪縛に 恐れていたのです。それを初めて聞いたナレーターは とかげは生理や性欲や排泄みたいに、まったく自分だけの、決して他人と分かち合えない 無意識の自責の気持ちを やむなく抱えていることを 理解したのです。なぜなら 彼も 同じような 他人に言えない 秘密を背負っていたのです。
  ナレーターの母親は 始めに父親の 弟と付き合っていたが、別れて 彼の父親と結婚をしました。それを根に持って、弟はある日 ナイフでナレーターの親をおどして 二人を縛り上げ、父親の目の前で 母親を犯しました。その後 自分に灯油をかけ 火をつけて自殺をしました。両親たちは 無事でしたが、母親のおなかの中にいた ナレーターが生まれてしまいました。そして 彼が五つの時に、母親は 何もかも耐え切れずに 自殺したのです。彼は 母親の悲惨な死体を 嫌でも見る羽目になったのです。ナレーターが 自分の過去の秘密を とかげに言った後に、広い世界の中で いろんな人がいて 誰でも酷い目に会うことは 仕方がないのだと 解ったのです。 しかし、そんな世界であっても、美味い物を食べたり、天気がいい日に いい気分にもなったりできるから 生き続けられるのだというのだと 二人は賛同し、心が前よりも 癒されたのです。
   作者がなぜ とかげなどという爬虫類を 使ったのかは とかげは尻尾が全部に切り落としても 自然に再生して生えてくる 不思議な力を持った生物だからではないかと 私は思います。そして、なぜ とかげが 内ももにとかげの入れ墨をしているのかは、多分 母親が包丁で刺された 同じ場所に付けて 子供の頃にあった 悲劇と 自分がやってはならない事をしてしまったのを 忘れない様にするためだと私には 感じられます。
  ここに出てくる人々は、すべて一般には 希望と呼ばれる変化の一歩手前にいて、突然何かに気づいてしまって 忘れていた感覚がよみがえってきたり、今までの状態にはなかったある種の行動力を必要とされたりする時期にいます。そのとまどいとか 精神的な荷物をまとめていくようなこころもとなさとか、そのすっきりした気持ちとか、そういったことが主題になっていると思います。長い時間をかけて 自分の体験と知り合った人々との会話だけを通して、ゆっくり自分のペースで 自分を理解して行く主人公達の姿に納得させられます。
読んでいるときは 微妙に癒された気分になりました。真に頼もしいのは、どんな不幸や 悲惨な目に会っても、それらを乗り越えられる、若さと 健康性なので あるという事を 作者は表現しようとしたのだと思います。