「踊る小人」の世界

エイミー丸谷


  村上春樹の「踊る小人」は 現実感のない 短編小説ではありますが、実際にも起こるような 出来事や考え事が所々に書かれています。 また、夢と現実を一緒に作り上げたような作品でもあります。 この作品の現実離れをしている例えは、夢の中で出て来たはずの人物が 実際に現実にでも現れるところや ある工場で生きた象を組み立てる様な 不可能な作業などです。 そして、登場人物の誰一人、名前が明かされないため、人間にとって名前などは それほどの必要なものではないと、微妙に感じさせますが、もっとも 自分と他者を区別を付けるのは 人の名前や心などではなく 人の欲望だと表しているのだと思います。 人々がほしがる物など、それぞれ違いがあるため、誰もが それを得るためには 違う行動をとるのはあたりまえのことですが、それが必ずしも、その人にとっての幸福だとは限らないということを 表しています。 
  名前などがありませんから、ナレーションの役をしている 主人公の一人は 自分に対して 「僕」と済まして、もう一人の主人公を 「小人」としか呼んでいません。この物語は「僕」の視点から繰り広げてあり、物事を深く考えない男性の 思考をそのまま表現してあるため 文体は読みやすいし、分かりやすく書かれていると思います。「僕」という人物は 十人並みとでも言ってもいい位、普通に働いて人生を送っている ただの若い男性です。それと比べて 小人は人の目と心を奪ってしまうほど 踊りが上手な上に、その踊りで人々の感情を 自由に操る力を持ってるらしいのです。そしてこの力で小人は 何年か前に国に革命を起こしたため、何故か革命軍から 追われる身になってしっまたのです。そしてある日、「僕」の夢の中に 小人が現れて「踊りませんか」と彼に聞きました。「僕」はその時に 自分は夢を見ているのだと知り、森の中で小人が踊りを見て 自分が目を覚ますのを待ちました。でも その夢から覚める直前に、小人は 「僕」はいずれそこの森に住んで 一生踊り続けると告げ、「僕」はそんな予言と小人のことが 夢から覚めて仕事に出かけた後でも 気にかかりました。「僕」は象工場で勤めていて 本物の一頭の象を捕まえてたら五つに切断し,五頭に水増しする作業をしていて 彼は今月は 象の耳を作る担当をしていました。「僕」は小人の事で 職場の相棒に相談してみたら、相棒は小人に関して ある老人を尋ねることを推めました。その老人によると,小人は ある古い酒場で踊り手として雇われていて その踊りで人の心の中にある 普段使われてはいない、それも本人でさえ持っているのを自覚してはいない感情を 引っ張り出して それを自由にあやつっていたことが分かりました。やがて小人は、革命前に宮廷に仕えて その不思議な力で革命を起こし,今でも何故か革命軍が血眼になって探しているということも明らかになりました。 小人のことを調べ終えた後に 夢に小人が現れない何日かが過ぎたときに 工場で「僕」は 第八工程の美人な女の子を踊りに誘うが,簡単に断られてしまいした。その夜に 夢に小人が現れて 「僕」にある取引を申し込みました。小人が「僕」の体に入り込んで 振られた彼女と踊って、口を利かずに彼女を 完全にものにできたら 小人は大人しく体から出て行くと告げました。でも、もし「僕」が 一言でも口を利けば 小人はそのまま体を 永遠に乗っ取ることが出来て、彼が欲しい 丈夫な体と活力が得られることになるのです。「僕」はその賭けにのって,実際,彼女と踊って ものにすることができました。そして 彼女とキスしている時に 彼女の肉体が腐っていく幻想を 小人に見せられても,口を利かないことが出来て、小人は負けを認めて去りました。ところが,「僕」の体内に小人が入ったことを 官憲がかぎつけ,「僕」を捕えて八つ裂きにする 判決が下されました。革命軍から逃げ回っている最中に、小人はまた夢に現れて 彼をまた体内に入れさせたら、警官には捕まらないと言いましたが、その代わりに 小人が「僕」の体を永劫に手に入れて、森の中で踊り続ける羽目になることだと 「僕」を絶望に追い込みました。
  この作品に関して、あまりにも深い意味を持った言葉や 自分が読めない難しい漢字がそれほどなかったので、比較的 容易に読んでしっまたため、強烈な印象が残らない短編小説だと思いますが、人の力を使って何かを手に入れたとしても 幸せにはなれない事や、人はそれぞれ違う欲望があるからこそ 考え方やとる行動が違っていることを 納得させられました。そして 人々は時に自己の欲望に 溺れやすい弱い生き物である事も 暗く、重く感じさせられて、誰でも自分の判断には 気をつけなければならないと教えられました。