「こころ」の書評

ケンドル・スチュワート


 広く読まれている夏目漱石の「こころ」は、明治時代にあった人間関係の問題が主なテーマである。この小説は、人がお互いに心持ちを分かち合えるかと質問してくる。第三部では、主人公である「先生」がそれをできないこととその原因が深く描写されている。表面的に、先生は隠していた心持ちを打ち明ける勇気がなかったけれど、勇気の不足の裏に、先生の言う「生まれた時から潜んでいる」恐ろしい影がある。先生は、自殺するほかに仕方がなくなるまで、その影の力に抑え付けられていた。
 どうして先生のこころに影が強くなったかと説明するのは容易ではない。たぶん、明治時代の近代化に成立された新しい制度がひとつの原因であろう。両親が死んだ後、先生は叔父さんに家を任せて東京へ出た。でも、叔父さんはお金を無駄に使ってしまった。先生は「私」にお金が人を変えることがあると伝えた。資本主義が強くなる時代背景で、先生の叔父さんの欺きみたいな事は増えていただろう。
 しかし、先生のこころを汚したのは資本主義ではなく、他の制度である。明治時代の政府は、法律や文化で、職業や性別の役割を定めようとする傾向があった。民法典は家長は男だと定めたり、女の選挙権を奪ったりしたなど。こんな風に、先生の心の影が強くなった背景には、社会に抑え付けられたという事実がある。男として先生は、Kとお嬢さんを争っていたから、その役割を破壊できないで本当の心持ちを分かち合えなくて、Kを裏切って、その結果、自分のこころにあった暗さが増してしまった。
 夏目漱石は「国民的大作家」と呼ばれていて、「こころ」は正典化されているが、その正典化に反対する点は多いと思う。でも、先生はただ勇気がない男であって、「こころ」を上流階級の人のドラマとしてだけ読むと、納得できるだろう。明治時代に生まれて、一等国になろうとする人にとって、そのような作品は魅力的であるかもしれない。近代化の裏を無視しないで、よく探検してみると、人間関係の問題がもっとよくわかるようになると僕は思う。