他人のこころ

エリン・シロマル


 最初に「心」という言葉を私たちが考える時、恋や強い感情と考える。しかし実は、心は私たちの暗い秘密や個々人の心理的な葛藤やゆらぎや自慢も意味している。夏目漱石の小説「こころ」では、特に先生の人生や心、キャラクターのことに関連して読者は「こころ」の意味を観察するようだ。
むろん、恋はこの小説で大切な役割を果たしている。先生と先生の友達(K)は奥さんの娘(お嬢さん)と恋に落ちた。Kは自殺したが、先生はお嬢さんと結婚し、彼自身の自殺までの多くの年を過ごした。その間、いつもKさんの死についてうしろめたく、彼の妻に心苦しい気がしていた。
 先生はKの死の苦しい思い出やお嬢さんに最初にプロポーズした結果を経験したが、彼自身の自殺の持論に私は同意しない。彼は結婚中孤独だったし、他の人間から分離していた。それは、明治時代から近代化への変化で、その板挟みになったのだろう。先生に同情はできるが、彼は他の人、特に妻とコミュニケーションをとらず、とてもさびしくて、自殺に向かって行ったようだ。先生は過去について考え過ぎると私は思う。心の中の恐ろしい影は絶えず彼に迷惑を掛け、したいことが何をできなかった(五十五)。この恐ろしい影を形作ったのはKが自殺したからではなく、先生の両親の死の後で叔父さんを信頼できなくなったからであった。
 しかし、彼はさびしいままで生活を変えようとせず、問題を解決しようともしなかった。心の中の葛藤から救助するために、社会から自分を分離した。彼は孤独だったが、その方が彼は気が楽だった。先生は、長年の利己的な苦労を終えるために自殺したと言ったが、彼はもう何年もの間苦労に耐えていた。彼の妻に自殺する理由について書いた手紙を見せたくなかった。死の後でさえも、まだ秘密がある。どうやって彼の妻は本当に幸せでありえるだろうか。たださびしい生存者である。彼女は夫の言うことがわからない。彼女の一生を汚したくないので、彼女に真実を言わないと彼は言ったが、冷たくすることや酒を飲んで沈んでいるのを見るのはもっと悪い。
 ある評論家が先生は時代錯誤であると言った。先生は明治時代の国の精神が彼の心と葛藤することを推論した。だから、さびしかった。Kの死によっても非常に影響を及ぼされた。たぶん、Kは同じ孤独を経験していたと先生は思っていた。しかし、先生はいつも逃げているので、心が弱いと私は思う。生きていたその時間は、すべて過去に住んでいるようだった。先生は手紙の中で人間はすべて、異なっていると言った。だから「私」は(お嬢さんも)先生の感情や信念を理解できないのかもしれない。この作品に描かれている暗い秘密や葛藤などの心は、いかに人々が傷つきやすいかを示していると私は思う。