「こころ」の書評

チャン ロリ

 夏目漱石は日本の近代小説家の中で最も影響力を持っていた一人であり、文豪だと称されている。「こころ」という彼の代表作の一つはエリートのエゴイズム、罪の意識、人間の死に対する心理をテーマにして書かれたものだ。この物語は三つの部分に分かれていて、特に最後の「先生と遺書」の部分は「先生」というキャラクターの心理的な変化や孤独と罪悪感の深淵に落ちていく苦しさを描いている。「こころ」は約百年前に完成した作品なので、古い言葉や漢字が多く使われている。しかしながら、現代人にとっては「変な漢字」だけど、もっと深い意味が含まれている場合もあるのではないかと思う。例えば、第五十四章に「私が不断からひねくれた考えで彼女を観察している」という文があり、「不断」という漢字は「普段」と書くのは正しいが、「不断」は「途絶えないで続くこと」なので、和歌の修辞の「掛詞」と似て、読者に正確な言葉は「普段」だと内容から教えながら、「彼女をいつも曲がった考えで観察している」という二重の意味も伝えたかったのかもしれない。
 「こころ」の最後の部分では「先生」の心理が詳しく書かれている。「先生」はお嬢さんへの恋に落ちてしまったが、しかし友人のKもお嬢さんを好きになったので、「先生」はKに黙ってお嬢さんの母に求婚の話を持ちかけた。「先生」の認識では、Kは自分のせいで自殺したため、彼は自分の罪を感じ、結局孤独を味わいながら自ら命を絶った。この物語の時代背景は明治末期だと設定され、先生が自殺した原因は罪悪感だが、明治天皇の崩御と乃木大将の殉死も一つの原因であり、結局先生に「明治の精神と殉死するべきだ」と思わせた。
 Kが死んだあとに、「先生」は自分と妻の間にはいつもKがいる感じや恐ろしい影が付いている感じに苦しんだが、それは罪悪感から生み出されたものだ。「先生」は罪滅ぼしのために良いことをしても怖い影が常にそばにあると感じた原因は、彼が思った善行は実際に善行ではなく、元々「やるべきこと」だからだ。義理の母の面倒を見ることや、妻に親切にすることは基本なのに、彼は自分はいいことをしていると思っていた。結局余計に罪を感じるのは当然だと思う。それと類似して、一見すると「先生」はKと自分の妻のことを考えてあげているように見えるが、実はそれは彼の勝手な考えだと思う。Kが自殺した理由はもしかして彼自身に他の問題が存在したかもしれないのに、「先生」は絶対に自分のせいだと思い込んでいた。確かに、世の中の誰かが彼と同じ目に遭ったら自分のせいだと感じると思うが、自殺する必要はないのではないか。日本では昔から武士が責任を取るために切腹する伝統が存在しているが、一人の知識人として、「先生」が死を通してKに謝罪することは不合理だ。「先生」は実はただ自分が苦しい現実から逃げ出したいと思って自殺したのではないかと私は思う。「罪滅ぼし」というのは積極的に生き、きちんと懺悔したいという気持ちを抱きながら歩いていって、社会のために何かをすることで、それが償いになると思う。夏目漱石はこの作品で人間の心理を描きながら人間の正しい生きるべき道を伝えようとしているではないかと私は思う。
 
字数:1314