「こころ」の書評
アントン・バーケル

 

  夏目漱石の書いた「こころ」という小説は、明治時代の人間の「こころ」や人々の絆を探究します。そのため作者は、「先生」という人物の人生経験を描きます。
小説の中では、先生は胸の中にある影を周りの人に隠して生きてきました。その影がなぜあるかというのは、二つの理由があります。それは、人間の一人も信じることができないし、友達のKの自殺に関する罪悪感を乗り越えることもできないことです。
  その第一の理由は先生の家族と関係があります。若い時に、先生の両親が亡くなってしまって、先生は遺産をもらいました。その後、先生はKと大学で勉強しに東京へ出ました。出たときに、先生は両親がもっとも信じることができる叔父さんに家を任せました。しかし、先生が留守の間に、叔父さんはお金を勝てに使ってしまいました。このように、先生は世の中で一番頼れるはずの人に裏切られて、人間を一人も信じれないようになりました。このお金に関することはおそらく、漱石が明治の新しい資本主義の一つの例とし使っているだろうと私はおもいます。
  第二の原因はもっと複雑で、先生の自殺に直接関係があります。先生は最初、Kの死因は妻に失恋したからだと考えていて、罪悪感を持ってしまいました。でも一年経ってから、Kは周囲の人が自分の気持ちをわかってくれなくて一人で淋しくなって、どうしようもなくなったと、先生は考えるようになりました。それから先生は、今の自分の気持ちとKさんの自殺の時の気持ちが似ているのではないかと気付いて、自分も死にたいと思ってしまいました。このことは人間の関係を表します。もしもっとしっかりした関係をお互いで作ったいたら、お互いの気持ちが分かり合えて、先生もKも自殺することにはならなかったでしょう。
  「こころ」という小説の読みやすい部分は面白いと私は思いましたが、複雑な部分は好きではありません。それは言葉の意味が分からないからではなくて、漱石の伝えようとしている意味が全体として理解できないからです。理解できない原因は文化だと私は思います。我々欧米人にとって、日本人、またはアジア人のこころは分かりきれないと思います。なぜかと言うと、文化が違うからです。日本の歴史では、侍や武士道の魂が文化と一つになっています(また、武士道の魂は文化から来ましたが、この理論でその二つのことには差はありません)。侍は恥ずかしいことや、悪いことをしてしまったら、切腹をします。そのことは当然であって、一般人でも理解できました。そして、同じような魂は今の日本にもあります(もちろん昔のと同じ程度ではありません)。このことは、90年代のバブル経済で明らかです。経済が悪くなるにつれて、多くの社長やサラリーマンは責任を取って自殺しました、昔の侍みたいに。あるいは、一生自宅に帰らなくて、家のない人として生きることにしました。日本人には両方のことは大体普通のことで、この考え方は昔の文化からきています。一方、欧米の文化では、自殺することは最大の罪で、どうしてもしてはいけないことです。この基本的な差のせいで、私はなぜ先生が自殺をしたか納得できません。しかし、普通の物語として読むと、日本人のこころにある文化と責任に対する意見がもう少し分かるようになったと私は思います。