距離と存在感

エイミー丸谷

  村上春樹の「蛍」は、後に 彼の名作品の一つである「ノルウェーの森」の 原型になった 短編小説です。 「蛍」では 七十年代の日本を舞台にしてあり、ある青年が 東京に出て来て、 彼の学生寮での大学生活を そのまま切り取って、つづられているような小説です。 全般的に 物や人の名前がなくても 描写がとてもよく出来ているため、 普通に読んでいても その光景を 簡単に想像出来ます。 数々の読者に 切ない純粋恋愛小説として 見られてはいますが、恋愛小説だということは 私には理解しかねます。 しかし、確かに 読みながら、恋の切なさが なんとなく言葉ではなく 空気で伝わってきます。 私にとって この作品の魅力は 人と人との、あるいは人と物との間にある 距離を利用して、人間の存在感と不在感を 見事に区別をつけたところだと思います。それはつまり、短いようで長い距離があるからこそ 少なくとも人間二人が存在しているのか いたのかを 証明しているため、その距離がなければ 一人も存在出来るはずがないのです。 
  小説では、「僕」としか名乗らない語り手が、大学に入ったばかりの頃に その数年前に自殺をした友人の彼女と 偶然に会って、それから 月に一度か二度 一緒に過ごすことになりました。 「僕」と彼女は、交際をするために 会っていた訳ではなく、たった一人の友人でさえ救えなかった 無力さの無念と痛みを知っているため、そして その友人が 死んだ時点で 二人の時間が止まってしまっているような 共通点があったので、二人は少しだけ お互いを 求め合っていたのです。 この彼女と付き合い始めてから、「僕」は 人に必ず訪れる「死」を疑問に思い始めました。 彼の友人が 急に自殺をしたため、嫌でも 死は何時でも人を捉える事が可能だという事実を 若い内に知ってしまったのです。 そして いつか捉えに来る 死に対して 恐れがいらないのは、死は 生を終わらせるためではなく、その生の 一部として存在していて 人を捉えるその日まで、人は 死に捉えられるのは 不可能だということも やっと認識したのは 彼女と一緒に 過ごしてからでした。 ただ、高校を出たばかりで 大学に入ったばかりの 大人になりきれていない、「僕」はまだ若すぎたため、死んでしまった者と まだ生きている者の 存在感と不在感が あやふやで、その答えを見出すことや 色々な事実を入れるのはまだ 彼には早すぎたのです。 世の中の時間は、いつも何が起こったとしても 初めから何も無かったかのように 進んでしまい、昔に存在していた人が、もう現代に存在しないのに まだ、その人の存在感を感じることは 少し「僕」にとって 微妙な違和感でもあったようです。そんな思い込みを抱えたまま、彼女と過ごしてきた日々が 随分長くなった頃に、お互いに それほどの意識がなかったため、彼らの間にあった距離が少々縮んだことを 「僕」は気が付きました。 お互いに置いてあった 体と体の間合いが、それ以上に 離れたり、近づく必要のない 丁度よさがあったのです。 それも、ある程度の距離の 長さや、短さで お互いに迷惑をかけずに、または 迷惑をかけられずにすむ 二人の想いにとっては 居心地がいい距離だった様です。 また、「僕」と彼女の間に 少しだけでも距離があるからこそ、二人とも 実際に存在しているのを 示してあるため、二人は安心できたのです。 そもそも、人と人の間や、物と物の間や、または 生きている者と死んでしまった者の間に 距離があるから、例え同じ時期に存在しなかったとしても、違う時期で 存在していたか存在しているのかを 確実に見せ付けてあります。 しかし、「僕」は彼女の 二十歳の誕生日に、彼女と寝てしまったため、突然に 丁度よかった愛情の距離を短くして 壊してしまい、二人は 以前よりももっと離れてしまうという終わり方になりました。  
  「蛍」を読んで、「ノルウェイの森」の第一章を読んでみた後、「蛍」の終わり方ほうがもっと すっきりしていると思います。 両作品とも テーマは同じですが、 「蛍」の舞台になっている場所と雰囲気の方が、大学生である私の生活に似ているため 理解しやすかったのかもしれません。 また、平凡でゆったりとした 描写を自然とイメージできる文章力は、プロとして当然なのかもしれませんが、やはり 村上春樹の実力はすごいと思いました。