「ノルウェイの森」

ディキンソン・カール


 「ノルウェイの森」は村上春樹の大人気の長編小説である。村上春樹は評判のいい作家なので、村上春樹が書いたものだから面白いだろうと期待してしまうかも知れないが、実際に読んでみると、あんまり面白くないということに気付き、「ノルウェイの森」で何度も繰り返されている「切なさ」や「絶望」などのテーマに飽きてきて落ち込んでしまう人が多いのではないかと思う。 又、村上春樹の初恋愛小説だと言われているが、雰囲気はあまりにも暗く、恋愛小説というよりも、鬱病小説なのではないかと思う。
 しかしながら、「ノルウェイの森」は上手に、綿密に書かれているというのは確かである。登場人物についての描写も、雰囲気についての描写も上手に書かれているので、ストーリーの背景を想像するのは決して難しくはない。前に言った様に、「ノルウェイの森」での雰囲気は暗く、とても重苦しく感じられる。村上春樹の文体はかなり絶妙な上、読みやすくもあるが、個人的にはストーリー自体には不満な点があるのでこの話が好きとは言えない。
 「ノルウェイの森」には主人公が二人出てくる。一人は「僕」と云い、彼の視点からストーリーが鬱陶しく伝わってくる。高校時代、「僕」は友人のキズキを自殺で亡くし、それをきっかけに、東京の大学に進学することを決心し、寮生活を始める。そこで、もう一人の主人公が現れてくる。直子と云い、キズキの元彼女である。直子は「僕」と中央線の電車の中で偶然に再会し、二人は一緒によく出掛ける様になる。直子に対して「僕」は思いを抱く様になるが、彼女と一緒にいると、あることに気付き、同時に哀しさにとらわれてもいる。何故なら直子が必要としていたのは、「僕」の腕でなく、「僕」の温もりでなく、「誰か」の腕、「誰か」の温もりだったからなのである。直子の20歳の誕生日を祝う最中、直子が突然泣き出し、「僕」は慰めようとし、直子と寝ることになる。それから、二人は音信不通になり、しばらくして「僕」は直子のアパートに行ってみると、何処かへ引っ越してしまったということが分かる。僕は直子の実家の方に手紙を書くが、返事はなく、そのまま落ち込んで退屈な生活へ戻っていく。その退屈な生活を送っていくうちに、同級生の緑と話す様になる。ある日、緑の家に行き、ご馳走になり、たまたま起きた隣家の火事を彼女と見ながら、僕はいい気分になり、緑に口づけをするが、恋人がいると言われる。それでも、二人はしばしば会う様になっていく。だが、「僕」は直子のことを忘れられないでいる。
 「ノルウェイの森」は確かに大人気でベストセラーでもあるが、読み終わった時、感想をまとめると、あんまり面白くないと思った。何故ベストセラーになったのか、全く理解できずに、話の教訓や要点などを把握できずに、読者までが哀しさにとらわれて落ち込む程「絶望」というテーマを繰り返す。何の変哲もない「ノルウェイの森」を熱心に読んでみたが、文体の良さを除いてストーリー自体の内容を批評してみると、だから何かと私は思う。「僕」は自分のことを可哀想な存在だと思っているということが分かるが、自分を変えようとしたりもしない「僕」は可哀想とは思えない。むしろ自分は可哀想な存在だからこそ、自分を変えようと努力するべきだと思う。しかし、「僕」はそういうことをしようともせず、結局自分の優柔不断さのせいでただ哀しさや切なさに囲まれる様になり、どんどん憂鬱症になっていくだけなのである。「僕」は何も解決しないまま話が終わってしまうので、彼は何が言いたいのか、何がしたいのかは完全に不明であり、「ノルウェイの森」は読後に「それで?」という様な感じの、未完成の様な作品なのである。そして、「絶望」をテーマに、生きていくのに悔しいことや苦しいことしかないという偏見を持つ「ノルウェイの森」は非常に落ち込ませる様な作品でもある。そういった点では、結論的に、「ノルウェイの森」をお勧めすることができないと私は思う。