カナシミのカタチ

ライアンキャシディー

 大切なものを失った時あなたはどうしますか?どのような感情が涌いてきますか?どんな行動をとりますか?村上春樹は「蛍」と「ノルウェーの森」を通してこのような難問を読者に問いかけようとしたのではないだろうか。短編小説の「蛍」の世界を膨らませた長編小説の「ノルウェーの森」ではやはり死がテーマのようだ。語り手のワタナベ、その友人のキズキ、とキズキの彼女の直子の微妙な関係は死によってめちゃくちゃになってしまう。キズキの自殺がきっかけで三人の身も心もバラバラになって行くのが読者に感じられる。
 「ノルウェーの森」の第一章でハンブルグ空港に着陸したワタナベはビートルズの「ノルウェーの森」を聞き、その曲が自分を「激しく…混乱させ揺り動かし」ていると気づく(p7)。そんなワタナベに気が付いたスチューワデスがワタナベを心配して、二度もぐあいを伺いに来てくれた。スチューワデスはワタナベの二度目の会話の時、大変意味深いことを言った。ワタナベの「「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから(It’s all right now, thank you. I only felt lonely, you know.)」」に対して、スチューワデスは「「Well, I feel the same way, same thing, once in a while. I know what you mean. (そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります)」」と言い残して立ち去った(p8−9)。スチューワデスがワタナベにかけた言葉はスチューワデスとしての言葉だったかもしれないが、私は心がこもっている言葉だと思った。私はこのワタナベとスチューワデスの会話の中に村上が英語と日本語が解る読者にだけわかるヒントを残してくれたのでないかと思った。なぜなら、二人の会話の英語と日本語の部分が違うからだ。ワタナベの「哀しみ」に感情を加えて「lonely」と訳し、スチューワデスが日本語の部分には無い「I feel same way, same thing」と英語で言い加えているのがヒントだと思った。ワタナベとスチューワデスの会話を読んだ後、同じ「カナシミ」でも人によって感じ方や反応のしかたが違うのだと気づいた。私はなぜキズキが自殺したのかは分からないけれど、生き残ったワタナベと直子は彼の自殺で「カナシミ」を感じたのではないかと思う。
 ワタナベの心の中に残っているキズキの存在は、きっと寂しかったのだろう。キズキが自殺をする前に最後に会ったのが自分だったので、ビリヤードをしている時になぜ悩みがあったのなら話してくれなかったのだろうとワタナベは悩んだと思う。親友を亡くしたワタナベが感じなかったのはきっと村上が書いた「lonely」、「寂しさ」だ。キズキが親友に何も言わずに自殺してしまった事がどうも受けとめきれなかったようだ。そして直子もワタナベが友人を亡くしたカナシミとは少し違った思いを感じていた。
 直子とキズキは彼女と彼氏の関係だったのでワタナベとは違って、直子のカナシミの形は一言で表せないほど複雑だったと思う。彼氏のキズキが突然、直子に何も言わないで自殺してしまった事で、直子の心はバラバラになってしまった。大好きな人を亡くす事はたぶん本人以外理解できない事なのかもしれない。直子は彼がいない世界では生きていけなくなってしまったのかもしれない。ワタナベに頼ってもやはりキズキの代わりにはならなかった。カナシミをワタナベみたいに理解できなかったから直子は療養所に行ったのだと思った。キズキに対する気持ちを整理できなかったから、直子の心は井戸のように暗くて恐い物になってしまったのかもしれない。
 死は生きている人に色んな形のカナシミを残す。私は両作品を読み終えた時、村上がなぜキズキの死に注目したのかが分かったような気がした。死と言う物は人のからだにカナシミという傷を残すのだと思った。でも傷は正しい治療と時間で直るので、カナシミをいい思い出に変える事ができたら、死んだ人も喜んでくれるのではないだろうか。読者はこの村上春樹の両作品は深い悲しみにあふれていて、寂しい小説だと思ってしまうかもしれないが、キャラクターの事情を通して、気持ちが分かって感じられると思う。