橋のない川

ディキンソン・カール


 「橋のない川」は1992年にリリースされ、東陽一が監督した映画である。部落問題についての映画である。登場する部落民は酷く差別されることが多いので、時に観づらいが、かなり面白く、色々なことを考えさせるような作品である。標準語ではなく、関西弁しか出てこないので、登場人物は何を言っているかのか聞き取れなくて分からない時がある。しかし、個人的には、差別問題などについて勉強する興味がたくさんあるので、「橋のない川」を観てとても面白いと思った。
 「橋のない川」は明治時代41年に始まり、ストーリーは奈良にある小さな村に住んでいる部落民達の視点から伝わってくる。主人公が二人出てくる。一人は誠太郎と云い、もう一人の主人公は誠太郎の弟であり、孝二と云う。誠太郎と孝二は父を日露戦争で亡くしたが、しっかりした祖母のぬいとやさしい母のふでに大事に育てられる。二人は育っていくうちに、部落民であることだけで、よく差別される。小学校に通い始め、そこで同級生にも、先生にもことごとにいじめられる。誠太郎と孝二は被差別部落である。
 「橋のない川」はよく島崎藤村の小説の「破戒」と比較される。小説「破戒」と映画「橋のない川」で、部落民であることに対する意識は全く違う。「破戒」に出てくる主人公の丑松は部落民であることを打ち明けようと努力するが、結局、部落民であることに対して色々な差別的なことが父や町民に発言され、恥ずかしい気持ちになり、部落民であることを打ち明けないことになってしまう。しかし、「橋のない川」は「破戒」と違って誠太郎と孝二は差別されることに疲れてきて部落民に対する権利を得るための政治運動に参加する。この政治運動を発生しているのは水平社と云い、被差別部落民の地位向上と啓発活動を目標として結成された団体である。誠太郎と孝二は、前より部落民であることを誇りに思うようになる。何故なら、彼らは部落民も普通の人間だということに気付いてくるからなのである。「破戒」で、丑松も部落民であることを打ち明けようとするが、残念なことに打ち明けられない。
 「橋のない川」で、誠太郎と孝二は部落民であることを打ち明け、誇りに思うようにもなる。一方、「破戒」で、丑松も打ち明けたいという気分になるが、結局打ち明けられない。丑松が打ち明けられないというのは、何というよりも残念なことだと私は思う。何故なら、自分が差別されている存在であることに対して何も言わないと、何も変わらない。 丑松はずっと差別されているのではないかと思うが、誠太郎と孝二は部落民であることを打ち明けられる上、部落民の地位を上げるための政治運動に参加するから、そのうち差別されなくなるのではないかと思う。やっぱり、差別であろうが、何であろうが、何か悪いことが怒っていたら、 丑松みたいに何もしなくてはいけないと私は思う。