『坊っちゃん』の書評

ヴィ・ドー

  『坊っちゃん』は夏目漱石の二番目の作品であり、作家自身の経験を反映(はんえい)しているそうである。色々な人物が小説に登場し、そして漱石は自分に似ているキャラクターも含んでいるそうである。『坊っちゃん』はたいへん読みにくい作品だと私は思う。たった最初の十三ページぐらいを読む為に数日もかかって単語や表現などを調べた。時間がもったいないと思った時もあったが、この作品から得ることがあったので実は割に合っている。
  文体的には『坊っちゃん』は全体的に話している感じで、一人称(いちにんしょう)で書かれている。すると語り手の「坊っちゃん」の頭をよぎる思考(しこう)や文句などが読者に伝わっていて、彼の性格がいきいきと描かれている。上に述べたポイントを纏(まと)めると、読者として「坊っちゃん」の考え方や本質や価値などを理解したり、共感したり出来る為であると私は思う。この作品は概(がい)して江戸弁と俗語で表現され、そして時々四国のある方言で書かれている。それで方言のニュアンスを読者に感じさせる為かもしれないが、正直に言うと自分はあまり感じられなかった。漱石のもう一つの特徴になっているのはよく間違っている漢字を使うことであるが、なぜかというのはさっぱり分からない。このようなことが漱石の文体になっている。
  『坊っちゃん』の最初の所は語り手の過去について書かれ、彼の人生に起こったことと成長していく道が描かれている。「坊っちゃん」は「無鉄砲」で「乱暴」で「いたずらばかりしてい」て「負けず嫌い」で「損ばかりしている」青年である。彼は両親に全然可愛がれなかったが、母が死んでから、清という下女に意外と可愛がれていた。しかし「坊っちゃん」は清の贔屓(ひいき)と世辞を不審(ふしん)に思っている。ついに彼の父も卒中で亡くなり、兄は商業(しょうぎょう)学校を卒業し、仕事の為に一人で九州に引っ越すことになった。兄は出ていく前に家屋敷(いえやしき)を売って「坊っちゃん」に六百円を渡した。「坊っちゃん」は兄からもらった金を自分の勉強に投資(とうし)することを決心した。ある日物理学校の前を通りかかって入学することになり、三年間で勉強して卒業した。卒業した後「四国辺のある中学校で数学の教師」になる為に、彼も東京を離れるべきだったので、清は甥の所に住ませてもらうことになった。語り手の行く場所は「地図で見ると海浜(かいひん)で針の先ほど小さ」い所であった。教師を始めた日には「坊っちゃん」は教員に面白いあだ名をつけた。その中学校の生徒は大方語り手より逞(たくま)しかったので、「坊っちゃん」は江戸弁の早口で勝とうと決心した。彼は学校で生徒のいたずらに困らせられたりして、ある時授業を途中で止めて帰ってしまったこともある。そして彼の宿直の番が来た時にも又生徒にいたずらされて、彼らに負けたくなかったので、「坊っちゃん」は一晩ずっと我慢して、有罪(ゆうざい)の学生をやっと捕まえられ、少し講釈出来たが、生徒たちは結局校長に放免(ほうめん)されて済んだ。
  夏目漱石の作品には含まれているテーマが色々あるが、一番印象に残っているのは道徳(どうとく)や社会の批判(ひはん)や彼が成長していくことである。道徳に関して「坊っちゃん」はとても強い正義感を持っている。「嘘をつくのが嫌い」だし「人に隠れて得をすることが大嫌い」だそうである。そして初めて宿直の時に生徒たちにいたずらされ、彼らと詰問(きつもん)出来た時に罰について話した。「嘘をついて罰を逃げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ」ということを語った。私は「坊っちゃん」の言う通りだと思う。悪いことをする気だったら、罰が当たる覚悟をすべきだと私は思う。出来なければ最初から悪いことをしない方がいい。漱石は社会に対して面白いことを指摘している。学校には宿直があって、職員が代る代る勤めなければいけないのに、校長と教頭の二人だけは例外である。この二人の働く時間は教師より少ないし、教師の月給より高いし、しかも宿直は彼らの職務(しょくむ)の一部分ではない。社会の批判がもう一つある。「坊っちゃん」は偶然に校長とすれ違った時に、校長がまっすぐに「宿直中に学校を出てはいけない」ということを言うより曲がりくねった言葉を使った。そして「坊っちゃん」が生徒にバッタに関して詰問した時にも、生徒たちが自分の犯したことを認めず下(くだ)らない質問をした。語り手は「生徒まで曲がりくねった言葉を使」っていると気づいた。社会人はどうしてはっきりと話さないのか私は分からない。曲がりくねった言葉を使って、誤解を起こしたり事件を複雑にしたりすることになってしまうだけだと私は思う。この作品では語り手が精神的に成長していく。子供の頃清にたいへん可愛がってもらっていたが、感謝するより「少々気味がわるかった」そうであった。だが、清から離れて、中学校という厄介な所に働きに来てしまうことになってから、彼は清をやっと見直した。「清…は見上げたもの(で)教育もない身分もない婆さんだが、人間としてはすこぶる尊(たっ)とい。今まではあんなに世話になって別段有難いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国(おんごく)へ来てみると、始めてあの親切がわか(った。清は)立派な人間だ」と認めてきた。そして「坊っちゃん」が持っていた山嵐の第一印象は「(い)やに横風(おうふう)な失敬なやつだ」という判断だったが、「いろいろ世話」になり、ついに「悪い男でもなさそう」なように判断し直した。
  「坊っちゃん」は無鉄砲で行動する前にあまり考えない男だが、私は彼の強い正義感と正直さと勇気を尊敬している。前に述べたように「坊っちゃん」の道徳に関して賛成だ。例えば何かをされたらいやだったら、それは他の人にしない方がましだと私は思う。そして社会を否定しても彼は信じることに従って行動することは素敵で私は敬服(けいふく)している。普段人間は爪弾(つまはじ)きされたくないので、「流れの方に流される」。だが「坊っちゃん」は周囲からの批判を気にせず、自分は何かが正しいと思う限り、正しいという風に扱う。その上に彼の勇気は非常なことだと思う。「坊っちゃん」は恥を感じず、自分の短所を認めている。初めて教場に入って生徒たちに講釈しようとした時に、自分について「卑怯(ひきょう)な人間ではない。臆病(おくびょう)な男でもないが、惜しい事に胆力(たんりょく)が欠(か)けている」と認知(にんち)していた。人間は自分の弱点(じゃくてん)を悟(さと)り認めることがし辛(づら)いと思うので、「坊っちゃん」がこのように考えたり行動したり出来るのは本当にすごい。
  私にとって『坊っちゃん』は読み辛(づら)い作品だが、書評すると、時間がもったいないという気持ちが消えた。『坊っちゃん』を読んで有意義な見方が頭をよぎって、そして価値のある教訓も得られた。私は「坊っちゃん」の姿勢と彼が学んだことと彼が自分をどのように表しているのかという所を見て、感動した。私は「坊っちゃん」から教(おそ)わったことは自分の短所を認めて精神的に成長したり、感謝の気持ちを忘れず表現したり、後悔しないように生きたり、自分的に人生を送ったりするということである。『坊っちゃん』は読み応(ごた)えのある作品だと確信出来る。