「坊っちゃん」の書評

ケンドル・スチュワート

 明治の前の時代に、多くの人々は地形的に孤立していたし、旅する理由もあまりなかったから、出身地から離れて旅行する機会は少なかった。明治の政府が汽車の制度を整えたり日本国という思想を広げたりしても、それでも時に人の心が出身から離れられない問題を、夏目漱石の「坊っちゃん」という小説は示している。
 坊っちゃんという言葉は、普通に、甘やかされている人の印象を与えるけれど、この坊っちゃんと清に呼ばれていた主人公の親は彼を可愛がらなかったし、人に甘やかされていたと言えないが、江戸っ子として東京に甘やかされていたかもしれない。四国にいたとき、回りのことをいつも東京と比べていて、東京ほどよくないと判断していた。この小説は坊っちゃんの正義感が強いという評判があるけれど、彼の「正義感」は「東京だけは正しい」ということに限るようだ。
 それに関して、坊っちゃんは生徒の囃しや苛めに困った。全く教えたくないので、生徒を敵のように扱って、強い振りをするために巻き舌で話して、いい加減に授業をやった。生徒の恨みを買った理由は当たり前だ。でも坊っちゃんは生徒が何も知らない馬鹿な田舎者だからとずっと思っていたので、自分を変えようとしないで東京に帰りたくなった。
 坊っちゃんはこんなに悪くても、清に可愛がられた。「あなたは真っ直でよいご気性だ」といったが、彼の真っ直ぐで変わらない気性こそが、生徒との戦いが始まった原因だ。損ばかりしていた原因だ。よくないけど、清はそれがよいだと思った。清が清らかである理由は問題が見えないことである。坊っちゃんにとって、清は問題のない東京の生活を象徴している。坊っちゃんのような人がいるから、一国の日本があるという思想は見せ掛けしかないんだと表す小説として読んだら、「こころ」と同じように明治時代に生きていた人々の精神を批判している。この小説を勧善懲悪や道徳小説として読むのは面白い誤解であると僕は思う。