笑顔で、微笑で

チャン ロリ

 二時間以上も車に乗り、私は湖と多くの木に囲まれている法鼓山という世界的に有名な仏教の団体の道場を離れた。一週間の滞在では、坐禅することや仏教の教えを学ぶことしかしなかったので、つまらなそうに見えるかもしれないが、私は言葉にならないぐらいの感動さと心地よさを与えられた。お坊さんと先生たちにお礼を言ったあとに、私は名残惜しさを感じつつ、ダウンタウンに向かった。
 俗世を離れて一週間、私は再びにJFKに立った。
 この世はうるさいね。空港に入ったとたん、私はそう思った。一週間静かな環境にいて、喋ることさえしなかったので、いきなり人込みにまぎれたら、何でもかんでも騒音だと思ってしまうのは不自然ではないだろう。しかしどんな音でもその音のままを受け入れるという修行の仕方を学んだばかりなのに、こう思った自分を情けないと思った。
 少し乱れた心に平安を取り戻して、私は売店に向かった。一本の水を手にした私は、眉間(みけん)にしわを寄せて、高いなと呟いた。レジには誰もいなかった。すみませんと言ったら、店員さんは不機嫌な顔で後ろから出てきた。これくださいと、私は笑顔で言いながら、どうしてアメリカのどこに行っても、店員さんはいつも「お金返せ!」と言うときみたいな顔をするのだろうかと思った。それに比べると、私が勝手に名をつけた日本の「笑顔文化」はアメリカの文化と違って人情味がある。私がアルバイトしていた新宿のあるホテルの中での中華料理屋さんでは、きちんと笑顔で客に接しなさいと言われた。たとえ客が悪いとしても、笑顔で話しかけ、いいサービスを与え、店の雰囲気をよくすることが大事だそうだ。確かに、その店は高級だから店員への要求も高いが、日本ではコンビニに行っても、店員さんは必ず笑顔で接してくれる。日本人にとって、笑顔は人と人の間を繋ぐ最高の道具だろう。
 禅の修行では、坐禅するときは体をリラックスさせ、心を統一することが一番大切だが、顔に微笑みを浮かべることも大事だそうだ。「仏像も微笑んでいるでしょう」と誰かがどうして微笑む必要があるかと聞いたときに、先生はゆっくりと語られた。仏様や菩薩様が微笑むことは自分が嬉しいからではなく、平等に衆生を見たから、自然に微笑んでいる慈悲相(じひぞう)になったのだそうだ。同時に、その微笑みは人に親近感を与える。一人の人間として、何に対しても平等に接することは難しいが、もし個人的な感情を含まずに、誰をも微笑んで迎えられたらいいと思う。
 日本の「笑顔文化」は客にいい気持ちを与える方法の一つであり、実際に言うと商売の方法でもある。その文化自体は良いと思うが、普段人と接するときに、もし心から微笑まわないと、他人は親近感を感じられないだろう。
生まれて初めて、私は、微笑みは人の気持ちを変えることにどんな大きな影響があるかと気付いた。
 すごく嬉しそうな笑顔でなくていい。一人一人がただ口元に微笑を浮かべるように注意したら、皆の情緒が安定し、世界もきっといい方向に変わる。人間はどうして、自分の一番大切な人以外の人の気持ちを少しでも考えてあげないのだろう。
 窓の外を見て、自分は理由も分からずに、一人で、声を挙げずに泣きはじめた。

 

字数:1312字